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こっこー さんの日記
2013
7月
10
(水)
00:17
本文
誰にでも苦しいことがある。無理をしなければいけないことがある。
ヒトは皆、その「想い」を内包しながら、時を刻む。
壁にぶち当たり岐路を見失ったとき、我々にできる選択は二つ。
そのまま進むか、異なる方へ進むか。
いつも心にとめている言葉がある。
聖書の一節だと記憶している。
「神様はいつも逃げ道を用意してくれている。」
結局は、物事をあきらめたり、断念してしまうことになっても、
そこに立ち止まらせず、新たな道を用意してくれているということか。
「逃げる」という言葉が持つイメージは「負」だろうか。
物事に直面したとき、その人が選択した「道」」はその人にとって
最良であるはずだ。
だから、どんな「道」に進もうとも、
その人の「道」を受け入れるべきなのであろう。
しかし、現実は違う。
どんなに愛情をこめて育てた子でも、
自分の子である以上は「最良の道」を示そうとしてしまうのが
親心というものか。
どんな「道」を子が選択しても、
怪我や病気のない安心できる生活をしてくれればいい。
ただただそう思うのだろうが。
「わが子」たちへ。
自分を心配をしてくれる人を見極め、
誘惑の悪魔に負けないでほしい。
決してあきらめず「わが子」を信じよう。
「わが子」が自分の足で「道」を見つけるまで。
こっこー
ヒトは皆、その「想い」を内包しながら、時を刻む。
壁にぶち当たり岐路を見失ったとき、我々にできる選択は二つ。
そのまま進むか、異なる方へ進むか。
いつも心にとめている言葉がある。
聖書の一節だと記憶している。
「神様はいつも逃げ道を用意してくれている。」
結局は、物事をあきらめたり、断念してしまうことになっても、
そこに立ち止まらせず、新たな道を用意してくれているということか。
「逃げる」という言葉が持つイメージは「負」だろうか。
物事に直面したとき、その人が選択した「道」」はその人にとって
最良であるはずだ。
だから、どんな「道」に進もうとも、
その人の「道」を受け入れるべきなのであろう。
しかし、現実は違う。
どんなに愛情をこめて育てた子でも、
自分の子である以上は「最良の道」を示そうとしてしまうのが
親心というものか。
どんな「道」を子が選択しても、
怪我や病気のない安心できる生活をしてくれればいい。
ただただそう思うのだろうが。
「わが子」たちへ。
自分を心配をしてくれる人を見極め、
誘惑の悪魔に負けないでほしい。
決してあきらめず「わが子」を信じよう。
「わが子」が自分の足で「道」を見つけるまで。
こっこー
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