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DANZEN さんの日記
2006
11月
14
(火)
15:28
本文
相変わらずの超多忙ぶり。時間がいくらあっても足りない。
冬休みの講師配置を決めるのに大苦戦中です。
未だ嘗てこのような経験はないというほどの混乱ぶりです。
昔、塾の時間割を作成する係に当たっていた先生が、ウチの塾のルールに合致した時間割作成ソフトをつくってくれたらポケットマネーで20万円支払ってあげる。。。とベソかきながら言っていたのを思い出しました。
好奇心があったので、イヤ、お金が欲しかったので、当時ちょっと調べてみたのですが、人間が考え出す時間割表に機械は敵わないのだということでありました。
これだけ技術が進歩していれば、今の機械ではそういうプログラムを組むことは出来るような気がします。
しかし、頭が足りません。ざんねん。
書いては消して、半分出来ては1からやり直しの繰り返し。
そんな中、懐かし話を思い出しつつ一服して新聞に目を通すと、最近の児童達のいじめ自殺が大きな話題になっている。ついに奈良市内でもそういう児童が出てしまったというではありませんか。
うーむと嘆息しながら当時の自分を思い出しました。
不肖私、小学生時代はいじめっ子でありました。
そして小学生卒業間近から中学卒業まではいじめられっ子でありました。
虐めているときは、虐められている子の気持ちなんて考えたこともなかったのです。
在り来りですが、虐められるようになって、その辛さが分かったという口です。
そして今になって思う。虐めた人、ごめんなさい、と。
いや、それだけじゃない、本当に消したい過去のひとつという程、当時の自分が死んでしまうべきではなかったかと悔いる程、慚愧に堪えない。
だから、今虐めをしている人はお願いだから止めて欲しい。
ちょっとしたその行為は、止めようと思えば止められるものだと思う。
自分にはたとえそんな気がないとしても、相手が笑わないようなコミュニケーションは止めるべきではないだろうか。
そういう勇気を持って欲しいと思う。
それが出来る格好いい人間であって欲しいと思う。
虐められている人は何も死ぬなんてことはない。
死ぬのはとても勇気の要ることです。でも、それは決して褒められるものじゃない。
君を必要としている人は、君のいないこの世界で、声をあげて泣き叫ぶのだ。
だからその人のためにも頑張って生きて欲しい。
学校の先生に相談して、それでダメなら、学校なんて行かなくて良いのだから。
義務教育は君が為すべき義務じゃないんだから。
君には学校に行く義務ではなく、学校に行く権利がある。
だから、死を選ばなくてはいけないような状況にあれば、学校に行かなくったって良いのです。
人生は長い。おじさんもまだまだこの先何が起こるか分からない人生を歩んでいる。
10年前と現在と、自分を取り巻く人々はほとんど変わってしまっている。
状況はどんどん変化する。時と共に。
今はまだ、あなたの生活範囲は狭い。
これからどんどん生活範囲は広がっていくだろう。
そこで色んな人と出会うことが出来る。
その中に君を必要としている人が必ずいる。
だから、そんな狭い世界の中で死を選ばないで欲しい。これからどんどん羽ばたいていけるのだから。
私は中2のこの時期、そう、丁度期末テストの数日前にリンチに遭いました。
素手で殴られている時は良かったのですが、土下座を強要させられ、それに従っている最中に、街路樹を支えている棒が引っこ抜かれ、「これどやろ?」という声が聞こえたときは生きた心地がしませんでした。
猛ダッシュで家に帰りました。
生憎、誰もいない。
門を開け、玄関をガンガン蹴りながら「出てこんかい!」と叫んでいる。
いつ窓ガラスが割られるかも知れない。
非常な恐怖でした。
小学生時代にヤンチャだった私は、それまでこの状況を誰にも相談出来ずにいたのです。妙なプライドがあったのだろうと思います。
でもその時は、自分の力ではどうにも出来ないと思い至り、警察へ電話をするか学校にするか暫し迷い、そして学校へ電話をすることを選んだのです。
電話口には知らない先生が出ました。
担任の先生は補習授業中とのことでした。もう終わって戻って来るだろうから、かけ直すよと仰っていただきました。
待っている間に自然と涙が出てきました。
相変わらず外ではガンガンやっている。インターホンも引っ切り無しです。
3分後位だったでしょうか。耐えきれず、もう一度電話をしました。
涙を堪えることができませんでした。
何を言ったのかは覚えていません。
ただ先生は異常を察知したのか、すぐに行くとだけ仰り、電話は切られたのでした。
私はインターホンに出て、必死に平静を装いながら「警察に通報した」とだけ告げました。
外は数分で静かになりました。
そしてそのすぐあとに車の音がしました。
2階の窓から外を見ると、先生でありました。
3台の車で5名はいらしただろうか、先生方が駆けつけてくださったのです。
その瞬間からかも知れない。先生になりたいと思ったのは。
結局、色々あって、その日は午後9時過ぎまで学校で調査が行われました。
その軍団は全員、先生によって捉えられたのでした。
私は別室にて定期テストの勉強をしていました。
何故だか勉強が捗ったのを鮮明に覚えています。
私にはこのような体験があります。
幸いにも先生方に恵まれて、そのグループがちょっかいを出すことは無くなりました。(他では相変わらずでしたが)
学校の先生、私の時のように助けてやって下さいよ。
救えるのって先生しかいないんだよ。
難しいことだとは思うけれども。。。
冬休みの講師配置を決めるのに大苦戦中です。
未だ嘗てこのような経験はないというほどの混乱ぶりです。
昔、塾の時間割を作成する係に当たっていた先生が、ウチの塾のルールに合致した時間割作成ソフトをつくってくれたらポケットマネーで20万円支払ってあげる。。。とベソかきながら言っていたのを思い出しました。
好奇心があったので、イヤ、お金が欲しかったので、当時ちょっと調べてみたのですが、人間が考え出す時間割表に機械は敵わないのだということでありました。
これだけ技術が進歩していれば、今の機械ではそういうプログラムを組むことは出来るような気がします。
しかし、頭が足りません。ざんねん。
書いては消して、半分出来ては1からやり直しの繰り返し。
そんな中、懐かし話を思い出しつつ一服して新聞に目を通すと、最近の児童達のいじめ自殺が大きな話題になっている。ついに奈良市内でもそういう児童が出てしまったというではありませんか。
うーむと嘆息しながら当時の自分を思い出しました。
不肖私、小学生時代はいじめっ子でありました。
そして小学生卒業間近から中学卒業まではいじめられっ子でありました。
虐めているときは、虐められている子の気持ちなんて考えたこともなかったのです。
在り来りですが、虐められるようになって、その辛さが分かったという口です。
そして今になって思う。虐めた人、ごめんなさい、と。
いや、それだけじゃない、本当に消したい過去のひとつという程、当時の自分が死んでしまうべきではなかったかと悔いる程、慚愧に堪えない。
だから、今虐めをしている人はお願いだから止めて欲しい。
ちょっとしたその行為は、止めようと思えば止められるものだと思う。
自分にはたとえそんな気がないとしても、相手が笑わないようなコミュニケーションは止めるべきではないだろうか。
そういう勇気を持って欲しいと思う。
それが出来る格好いい人間であって欲しいと思う。
虐められている人は何も死ぬなんてことはない。
死ぬのはとても勇気の要ることです。でも、それは決して褒められるものじゃない。
君を必要としている人は、君のいないこの世界で、声をあげて泣き叫ぶのだ。
だからその人のためにも頑張って生きて欲しい。
学校の先生に相談して、それでダメなら、学校なんて行かなくて良いのだから。
義務教育は君が為すべき義務じゃないんだから。
君には学校に行く義務ではなく、学校に行く権利がある。
だから、死を選ばなくてはいけないような状況にあれば、学校に行かなくったって良いのです。
人生は長い。おじさんもまだまだこの先何が起こるか分からない人生を歩んでいる。
10年前と現在と、自分を取り巻く人々はほとんど変わってしまっている。
状況はどんどん変化する。時と共に。
今はまだ、あなたの生活範囲は狭い。
これからどんどん生活範囲は広がっていくだろう。
そこで色んな人と出会うことが出来る。
その中に君を必要としている人が必ずいる。
だから、そんな狭い世界の中で死を選ばないで欲しい。これからどんどん羽ばたいていけるのだから。
私は中2のこの時期、そう、丁度期末テストの数日前にリンチに遭いました。
素手で殴られている時は良かったのですが、土下座を強要させられ、それに従っている最中に、街路樹を支えている棒が引っこ抜かれ、「これどやろ?」という声が聞こえたときは生きた心地がしませんでした。
猛ダッシュで家に帰りました。
生憎、誰もいない。
門を開け、玄関をガンガン蹴りながら「出てこんかい!」と叫んでいる。
いつ窓ガラスが割られるかも知れない。
非常な恐怖でした。
小学生時代にヤンチャだった私は、それまでこの状況を誰にも相談出来ずにいたのです。妙なプライドがあったのだろうと思います。
でもその時は、自分の力ではどうにも出来ないと思い至り、警察へ電話をするか学校にするか暫し迷い、そして学校へ電話をすることを選んだのです。
電話口には知らない先生が出ました。
担任の先生は補習授業中とのことでした。もう終わって戻って来るだろうから、かけ直すよと仰っていただきました。
待っている間に自然と涙が出てきました。
相変わらず外ではガンガンやっている。インターホンも引っ切り無しです。
3分後位だったでしょうか。耐えきれず、もう一度電話をしました。
涙を堪えることができませんでした。
何を言ったのかは覚えていません。
ただ先生は異常を察知したのか、すぐに行くとだけ仰り、電話は切られたのでした。
私はインターホンに出て、必死に平静を装いながら「警察に通報した」とだけ告げました。
外は数分で静かになりました。
そしてそのすぐあとに車の音がしました。
2階の窓から外を見ると、先生でありました。
3台の車で5名はいらしただろうか、先生方が駆けつけてくださったのです。
その瞬間からかも知れない。先生になりたいと思ったのは。
結局、色々あって、その日は午後9時過ぎまで学校で調査が行われました。
その軍団は全員、先生によって捉えられたのでした。
私は別室にて定期テストの勉強をしていました。
何故だか勉強が捗ったのを鮮明に覚えています。
私にはこのような体験があります。
幸いにも先生方に恵まれて、そのグループがちょっかいを出すことは無くなりました。(他では相変わらずでしたが)
学校の先生、私の時のように助けてやって下さいよ。
救えるのって先生しかいないんだよ。
難しいことだとは思うけれども。。。
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