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DANZEN さんの日記
2025
11月
9
(日)
11:51
本文
猫も杓子もAIだらけになって参りましたね。先日、AIについての説明と使い方の講義を受けるんですって言ってる人がいました。
使い方次第で何でもできるので、訳が分からないって場合はそういうのを利用するのはアリですよね。
昔のPCみたいなもんですよ。Windows95が出てPCがとても身近な存在になったとき
「PCって何ができるの?」
「なんでも」
「なんでもってなんやねん???」
ってやりとりがあっちこっちであったのです。
いま周りを見渡して、PCの頭脳でもある様々なOS、これを利用していない電化製品は少ないのではないですか?
電気ポットとかは別ね。でも、あれもそのうちAIが温度管理してるかもしれませんね。
何でもできるからなんにでも入っているんですよ。
AIもそんなもんかもしれんですね。ただ、分からなさ過ぎて業者のカモになってはいけません。
AIも当時のPCと同じく、“分からない人ほど損をする時代”に突入しているのかもしれません。
20年以上前、講師の先生を採用するときの面接で「PCは使えますか。特にエクセルとワードを使えないとまずい職場です」って伝えたら
「今日、ちょうどエクセルを習ってきたところなんです!」って習った内容をそばにあったPCで実演説明してくれました。
恐ろしくまごつきながら
「まずはこの電源ボタンを押しますね」
「あ、スリープモードに入っているだけだから、もう電源は入っていますよ」
「え?よくわからないです。じゃあ、この横のPCでもいいですか?習った通りやらないと分からないんです」
「いいですけど」(マジか・・・)
「しばらく待つと画面が出てきます」
「そうしたらまず、下にあるスタートボタンをクリックしますね」
「するといろいろマークが出てくるのでエクセルのマークを探してクリックするんですよ」
「ほら」と言って、こっちを向いてドヤ顔をするのです。
これで採用決定だろって顔です。
たった3秒でできることに数分もかけやがってこんにゃろーめ、しかも
起動しただけやないか・・・
その日の1時間の講座の内容だそうな。
決してカモになってはいけません。
先日の探偵ナイトスクープで子どもが様々な学校の課題をAIで済ませてしまって、標語コンテストで表彰までされている。これではいけないので何とかしてくれって依頼でした。
難しい問題ですよね。出演者のデーモン閣下が「AIには人間にある創造性がないからまだまだなのだ」みたいなことを言ってましたね。
でもウカウカしてられないとは思いますよ。
大人でもこどもとAIの向き合い方について確固たる方針を持っている人は少数なんではないでしょうか。
現時点でのDANZENの考えを記したいと思います。
AIなんてワケワカメ。でも子どもが使っていて不安だ、心配だって人は参考にしていただければ。
【AI時代の子どもの「考える力」】
― AIに頼ることは悪いこと?それとも新しい学び方? ―
最近、「AIを使うと考える力が弱くなる」という声をよく耳にします。
たしかに、学校の課題をAIに解かせて、それをそのまま書き写すだけ……
そんな姿を見ると、「これで大丈夫なの?」と思いますよね。
でも、AIそのものが悪いわけではないんです。
問題は、“どう使うか”なんです。
■ 「AIが考えてくれる」ではなく「AIと一緒に考える」
AIに全部任せてしまうと、たしかに思考のプロセスが抜け落ちます。
自分で悩み、間違い、直していく中でこそ「考える力」は育ちます。
でも逆に、AIの答えを見て「なんでこうなるの?」「別の考え方はある?」と
AIを相手に“対話する”ように使えば、むしろ思考力は伸びるんです。
たとえば、
「AIが出した答えをあえて疑ってみる」
「自分の考えとAIの考えを比べてみる」
こういう使い方なら、AIは“考えのきっかけ”になってくれます。
これ、ZクラスのDANZEN数学や理科の居残り指導の神髄と同じです。
■ 「AIを使わせない方がいい」という意見について
「AIなんて使わせずに、自分で考えさせるべき!」という意見もあります。
たしかに一理ありますね。
子どものうちは、まず自分の頭で考える体験が大切です。
AIを使う前に、「考える筋力」をつけるトレーニングは絶対に必要です。
でも、これからの社会では間違いなくAIが“前提”になります。
AIを使わないことは、PCのない時代に戻るようなものかもしれません。
ですから理想は、
「AIなしで考える力」と「AIと共に考える力」
この両方を育てることです。
“使わせない教育”ではなく、“正しく使える教育”が大切なんだと考えています。
■ デーモン閣下が言った、「AIに創造性はない」のか?
「AIには創造性がない」とよく言われます。
でもちょっと考えてみてください。
AIも人間と同じように、これまで数多(あまた)の人間が与えた知識や経験(つまりデータ)をもとに新しくみえるものを作り出しています。
そう考えると、AIにも「創造の種」はあるように思えるんですよね。
ただ、大きな違いがひとつ。
人間は“なぜ作りたいのか”という気持ち(意図)を持っているんです。
AIはそこがありません。
結局のところ、AIが何を生み出すかは“どんな問いを与えるか”で決まるんです。
つまり、人間の創造性は“問いを立てる力”として生き続けるんです。
だから、AIの創造は「模倣的な創造」、
人間の創造は「意味のある創造」と言えるでしょう。今は。
AIにはまだ感情がないですから。
内から湧き出るもの。
あれしたいなぁ、これしたいなぁ、こんな問題解決したいなぁ、みたいなものですかね。
■ シンギュラリティ(技術的特異点)とは?
AIが人間の知能を超え、自分で考え、目的を持ち、
新しいものをどんどん生み出すようになる――
そんな未来を「シンギュラリティ」と呼びます。
今のAIは、まだそこには到達していません。
AIはあくまで人間が作った枠の中で考えているだけ。
けれど、そこに近づいているのは確かです。
内から湧き出るものが出始めたら、それが始まりかもしれません。
SFだったら「人間邪魔だなぁ」って感じですか。
こわっ!
そんな時がやがて来るかもしれませんが、来ても来なくても、AIを正しく理解して使う力がこれからの時代に必要になるのは間違いありません。
AIは、使い方次第で「考える力を奪う道具」にも「考える力を伸ばす道具」にもなります。
私たち大人がすべきことは、
子どもたちに「AIを禁止する」ことではなく、
“AIとどう付き合うか”を教えることだと思うんです。
途中でやめたプログラミング教室も最後の1年はどうやってチャッピー(※ChatGPTのこと)を使うかって内容でしたから。
間違えて、考えて、気づいて、もう一度考える――
AI時代でも、その人間らしいプロセスを大切にしていきたいですね。
そうしてまた居残りが増えていくのであります。がーん。
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