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DANZEN さんの日記
2025
10月
29
(水)
13:07
本文
先日、育伸社の全国実力テストが返ってきました。
なんと…!
中学3年生模試で5科目総合順位の1位、2位、3位が当塾の生徒という快挙。
先月は中1で全国1位がありましたが、(もちろん5科目総合です)
TOP3を独占というのはおそらく初めてです。
すごいですね。本当によくここまで成長してくれました。
点数の高さだけでなく、ここまでの過程を見ているからこそ誇らしい。
苦しい時期を経て、ようやくそれが形になってきた──そんな感慨がありますなぁ。
いい感じで仕上がってきています。
そんな中3の返却を担当したのですが……
なぜか「活を入れられる」生徒が続出(笑)。
今の子たちって、ちょっと“幼い”んです。
あまり厳しい現実に触れてこなかった(触れさせてもらえなかった)からでしょうか、
「甘い夢を見る少年少女」がちらほらいるのです。
先日知り合いからどう思う?ってyoutubeを見せられました。
「半年で志望校に行きたいので支援を…」というものでした。
これまで全然勉強してこなくて、成績はめちゃくちゃ悪い。(うちの中3にも余裕で負けるんではないかと思います)
目指している大学はそこそこ名のある大学。
「行きたいんです!」これを評価されてお金を出してもらってましたけど、ある塾の先生が吠えてましたよ。「舐めるな!」って。
現実的に無理だよって受験のプロ達が口を揃えて言うのですが、彼は言うんですね。
「今まで勉強しなかった自分がこの1か月間、毎日勉強しているんです。これは快挙です」
でも実際は1日1時間。
好きなゲームをしている時間の数分の一。
やりたいことはやる。
やりたくないことを少し我慢してやったら「俺すごい!」。
うーん、なんだかなぁと思いました。
ただ、これは極端な例ではなく、
「頑張った」ことを“結果”と勘違いしている子が増えているように感じるんです。
頑張ることはもちろん大切です。
努力は尊い。でも「頑張った=評価される」ではない。
敢えて言います。
「頑張りを評価されるってことは結果が出てないことへの慰めに過ぎんのだぞ」ってこと。
結果を出すために必要なのは、“他者の基準”で通用する積み重ねです。
活を入れられた人は高校受験では残された時間的に最後のチャンスだと思いますよ。
通じるといいんだけどなぁ。
さて、話は変わって──。
ラヴェルの「ボレロ」ってご存知ですか?
私、この曲が大好きなんです。
知らないって人も最後だけは絶対に知っているという曲です。
あれは最初からの流れがあってのクライマックスだから最後だけ聞くなんてほんとに勿体ないんですけど。
小太鼓が小さい音でリズムを刻むところから始まるんですね。この同じ単調なリズムを10数分、徐々に音を大きくしながら繰り返すんですね。数千回叩くそうです。
そのリズムに乗っかる形で色んな楽器が入れ替わりながら、たった2パターンの旋律を延々と繰り返していく。
繰り返しの中で楽器が増えていき、どんどんクレッシェンドが効いてくる。
同じことの繰り返しが盛り上がってきたなぁ、「思えば遠くへきたもんだ」ってこんな感じか、いよいよだなぁと感傷に浸っているうちに待ってましたの転調してのクライマックス。
そして、唐突に終わる。
この曲を聴いていて、ふと思いました。
これって、まるで受験そのものだな、と。
最後の華やかな瞬間だけなんて、ありえない。
積み重ねた音の一つ一つがあるからこそ、あのクライマックスにたどり着ける。
最後の余韻に浸れるのは積み重ねた人だけです。それも自分基準でなく、他者が見てという基準でね。
「よかったやん!やったやん!頑張った甲斐があったな!」頑張りを正当に評価として使えるのはこういう場面なのです。
15分以上ある本家ボレロは長いので、
7分弱で“おいしいところ”を堪能できる動画をどうぞ。
(今の子はM-1の4分すら長いというので、この7分でも耐えられるかな?笑)
わたくし、この人の演奏の大ファンでして。
いつか生で聴きに行きたいと思っています。
積み重ねの音が重なっていく、その時間こそが本番。
受験生たちの「ボレロ」は、どんなクライマックスを迎えるんでしょうかね。
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