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DANZEN さんの日記
2025
5月
28
(水)
20:08
本文
あまりにもスゴすぎて、ちょっと絶望的になっております。
というわけで、5年続けてきたプログラミング教室も、いったんお休みすることにしました。
今教えていることが「完全に無駄」になるとは思っていません。
でも、数年先を見据えると「それ、もういらんかもね」という未来が見えてきてしまったのです。
こんな授業はどうでしょう
電源を入れて、画面が出たらFDを差し込んで「A:」と入力してenter
「DIR」と入れてenter
ファイル一覧が表示されるのでその中にある「PACMAN.EXE」のような実行ファイル名を入力してenter
そうするとゲームが起動します
なんて授業は不要でしょ。(おー、懐かしいと思ったあなた、年寄です)
今なんて起動したいプログラムのアイコンをタッチするだけなんだから。
将来的には脳に埋め込んだ極小チップが思考を読み取って、勝手にプログラムを起動してくれるかもしれない。
便所行きてぇ!と思ったら便座をパカパカさせながら向こうからやって来てくれます、きっと。
お金をいただいて教える立場として、「これ、本当に今やるべきか?」という疑問が出てきた時点で、一度立ち止まるべきだと思ったわけです。
また方向性が定まったら再開するつもりではありますが。
今の子どもたちは、ただただAIの便利さに「ええやん!」と目を輝かせていればOK。
それが当たり前の時代に生きているからこそ、時代の流れに身を委ねて、やるべきことを淡々とやっていけばいい。
(※ここ重要。「ぼんやり」委ねて(ゆだねて)いたら絶対にダメですよ)
でも、近い未来に「生活の糧」を得ないといけない大人にとっては、それほど単純な話ではありません。
最低限の知識とスキルがあれば、あらゆる分野の「そこそこできる人材」が、あなたの代わりに仕事をこなしてくれます。
だから――究極的には、あなたは必要ないのです。
今はあなたに与えられた仕事をあなたが代わりにやらせることで喜んでいられるフェーズかな。
中抜き業者みたいな感じだな。
ただまだまだAIも万能ではないので何度かやりとりする必要があるでしょう。
「意図を伝える力」が必要ですね。
そこには最低限の知識とスキルが要求されます。
AIから「あなたの知識とスキルの2倍の成果」を引き出すのは難しいのです。
そういうわけで誰でも彼でも喜びを享受(きょうじゅ)できているわけではない。
もうすでに差がつき始めているのかもしれないですね。
とりあえず今必要なのは創造性なのかな。でもこれもそのうちに。。。
これからは、仕事(=お金を稼ぐ手段)の形が大きく変わっていくでしょう。
消える仕事も、たくさん出てくるはずです。
今のところは、ホワイトカラーが震え上がり、ブルーカラーが「人の代わりはできん!」と息巻いているとかいないとか。
でもそのブルーカラーだって、ロボットがどんどん人に近づいてきている。
人型ロボットなんて、かなり高性能なものも出てきました。
導入コストはかかっても、前払いと思えば安いもんです。
人と違ってミスはしないし、24時間働けるし、壊れるまで休まない。
姿まで人間と同じなら、「人の代わり」どころか、それ以上になります。
トータルコストは人に比べたら爆安です。
そんな時代だから、勉強の意味合いも変わっていくんだと思います。
「覚える」作業?
→ それ、データベースに入れとけばOK。検索で一発です。
「計算練習」?
→ 計算なんてのは全人類が協力して取り組んでも手のひらサイズのコンピュータに敵いません(かないません)。
「入試問題を解く」?
→ AIに聞けば、ネットの膨大なデータから即答です。
すでに答えがあるものなら、誰かがネットに上げてくれている時代です。
大学生の序盤まではもうすでに誰かが辿り着いた答えがあるものをなぞっているだけですからね。
でも、**「どう相談するか」**で差が出る。
そこには、やっぱり最低限の知識と技能が必要です。
だから今のところは、「覚える」ことも「計算練習」も必要。
将来的には変わるかもしれませんが、現時点では大事なんです。
知識そのものとか計算能力自体にはもう価値なんてないんだろうけど、それをベースにした新たな価値、それの優劣というのが生まれてくるんでしょう。
塾屋なんだからそんなこと考えずに学校のテストで点数が取れることだけ考えればいいんでしょうけど、そういうの好きじゃないしなぁ。
今、何を伝えて、何を身につけてもらえばいいのか、昼も寝ないで悩む今日この頃なのであります。
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