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DANZEN さんの日記

 
2008
4月 1
(火)
22:32
春期講習も佳境です
本文



毎年新しい子ども達と出会うのはエキサイティングです。

毎年毎年同じ年齢の子ども達と接していると、ついついこちらは年を取っていかない錯覚に陥り(おちいり)ます。

それが錯覚に過ぎないことは、例えば徹夜に近い残業をしたりすると身体が言うことを利かないという現実で気付かされることになるわけです。

他には自分のしゃべり口調にオヤジギャグが増えてきたとか、子ども達の話題に全くついていけなくなってきたとか。


先日講師採用の面接時に盛り上がった話?でもあるのですが、子どもが変化しているということでも感じることが間間(まま)あるのです。

実はその面接に来ていたのは卒業生でありまして、面接なのに昔話に花が咲きまして私のことをボロカスに言うわけです。

むちゃくちゃ難しい問題を「簡単だ」と偽って解かせたとか、その問題の出来が悪かったら起立させられて叱られたとか、泣かされたとか、老け顔だとか、悩みが無さそうだとか、眼鏡がデカイとか、鼻もデカイし態度もデカイとか。。。


で、1つ1つ弁解するわけですよ。これこれはこういう意味があったんだよと。

ところが君たちが大人になっていく間にもどんどんと子どもってのは変化していて、昔なら通じたことが今なら通じないって事なんかも話していたのです。

塾はサービス業だから色んなニーズに応えていかないといけない。
そんな中で変えてはいけないフィロソフィーの部分と、変えなければいけない部分があるんだよと。


ここ数年で頓に(とみに)感じるものがあります。

それは叱られたときにどうして良いか分からない子どもの増加です。

共通しているのは叱られたときに緊張できないということ。
大概の子はヘラヘラしてます。
目も合わせようとしません。

こういう子どもを初めて見たとき私の方がパニックになりましたよ。

反抗か???とかね。


でもそうじゃないんですね。
叱られたことがないからなのかどうかは分かりませんが、ただただどう対応して良いのか分からないといった様子なのです。


叱るって難しいですよね。
マイナスの評価を与えるわけですから。

我々は叱れないといけません。
嫌われようがどうしようが、最終的にその子のプラスになるのなら、今を犠牲にしても勇気を持って叱らないといけないわけです。

ところが通じない。
本人はヘラヘラ微笑んでる。
「参ったなぁ。叱られてるよ、自分」のような感じです。

これは2つの点でダメだと思うのです。


まずはこんな態度では社会に出たときに誤解をされるだろうということ。

次に、拙い(まずい)ことをしたと思ったときに「悔しい」とか「恥ずかしい」とか思えないこと。
これではまた同じ失敗を繰り返すに違いないのです。


だから私はそんな子に出会ったら必ず泣かすようにします。
そして、誤解を生む態度であることを説明します。


そうするうちに、次第と叱られ方が分かってくるようです。
子ども自体は基本的に今も昔も変わりはないと思います。
今が良いとか、昔が良いとか、そんなことを言ってもしょうがない。

今の子どもをどうするか、なかなか難しいですね。


さて、2年ぶりに過去ニュースレター記事を復活させました。ログインしたらカレンダーの前後に表示されるはずです。

DANZENの考え方、TOPのフィロソフィーの部分でもあるかなと思います。
お暇な方はお付き合い下さい
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