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dai さんの日記

[2019-10] 
 
2019
10月 7
(月)
17:25
トップの本棚―The definition of justice
本文
1週間ほど前、小学校と中学校の授業でいわゆる「トロッコ問題」(注1)を扱ったことに関して、授業に不安を覚えた保護者が教育委員会に連絡したところ、調査の上でほどなくして謝罪した、との報道が流れ、話題になった。

教育委員会って謝らなくていいところではすぐ謝罪するんだね。いじめとか、ちゃんと対処しなきゃいけないところではすぐにg…(不思議な力にかき消された)
(ゲフンゲフンっ)

ただ、「選択に困ったり、不安を感じたりした場合に、周りに助けを求めることの大切さを知ってもらう」ための教材としてトロッコ問題が適切か、と言えば疑問だ、というより浅慮に過ぎる、と感じた。

「トロッコ問題」は道徳では解決しえない問題に対して倫理、ないしは政治哲学を用いていかなる解答を得られるか、という話だからだ。


『図書館の神様』 瀬尾まいこ ちくま文庫 


「トロッコ問題」が有名になったのは数年ほど前にサンデル教授の「ハーバード白熱教室」だっただろうか。「正義」とは何かという問題意識である。

「図書館の神様」の主人公、高校で国語講師(大学を出たばかりで、このあと教員採用試験を成り行きで受けることになる)をしている早川先生と、たった一人の文芸部員成島君が正義について話し合う場面がある。早川先生は「正義」という言葉はなんとなく文学っぽいという理由で話題にしたのだが、成島君は答えになるような、ならないような答えを一応の結論として出す。

正義ってそんなものだ。だからこそ対話が必要なのだ、というのがサンデル教授の主張だったのかもしれない。


さて授業の時間だ。

滋賀V模試が返却された。公立高校の一般入試に出題形式を模してある試験だから、国語には作文がある。採点基準がよくわからないのだが、字数が足りていて支離滅裂なことを書いていなければそれなりの点数をもらえるようになっているようだ。結果、平均点はかなり高かった(全県平均が60点を超えていた)。時間切れやぶっちして書かなかった人は当然0点だから、そこは書けるようにした方が良い(中学時代模試の作文を全ぶっちしたお前がゆうな、という声が聞こえてきそうだ)。

数学では確率の問題でまさかのモンティ・ホール問題(注2)を題材にしたと思われる出題。(2)の答えを直感的に2分の1とした解答を多く見かけたがやむを得ない。問題をよく読めば確率は1(必ず起こる)と分かるのだろうけど。

定期テスト、1年生が(今年入ってきた2,3年生も)勉強の仕方の間違いに気付く良い機会だ。ちゃんと振り返って、次(期末テスト)の結果につなげたい。


注1:「そのままだと5人死ぬ、行動を起こせば1人死ぬ、どちらを選ぶべきか。」という思考実験。思考実験だから問題の前提を受け入れられる心の成長が必要だ。平均的な発達段階を考えるとき、小学生には早すぎると思う。カレー味のう…(不思議な力によってかき消された)
注2:アメリカの人気テレビ番組Let’s Make a Dealの中で行われたゲームに勝つ確率についての論争。
当時の司会者であったモンティ・ホールにちなんでこう呼ばれている。「プレイヤー前には3つのドアがあり、一つは新車のキャデラック、後二つははずれのヤギがいる。プレイヤーが一つドアを選択すると、プレイヤーが選択しなかったドアのうち当たりを知っている司会のモンティがヤギのいる一つのドアを開く。そのあとでプレイヤーにこう迫ったらしい。”Final answer?”(迫ってません)
残った2枚の扉のうち当たりはひとつだから変更するもしないも確率は半々と考えられるが1990年のある日、自称IQ200の女性が変更すれば当たる確率は3分の2と言い出したからさあ大変。大学で数学を専攻しているある教授が、「やっぱり2分の1ではないか」と発言するなど全米で大論争が起きた。
この記事を書くに当たり調べたモンティの若かりし頃の顔が、若かりし頃のみのもんたの顔に何となく似てると思うのは私だけ?
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