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dai さんの日記

[2019-9] 
 
2019
9月 18
(水)
18:49
トップの本棚―Before 9.11
本文
法学部6組ロシア語組の中には私を含め5人の劣等生がいた。3年次にロシア語を残していたのだ。そのうちの一人は無事四年で卒業、就職し、あの時は某S銀行ニューヨーク支店(注1)で始業準備をしていた。また別の一人は勤めていた外務省を辞め、研究者の道を歩む決心をしていたらしい(現在関東の某有名私大教授で、今年度のゼミテーマは米中関係だそうだ)。

法学部6組ロシア語組の中にはもちろん優等生もいた。2年でちゃんと第2外国語8単位を取得しきっていたのだ。そのうちの一人は、R南高校出身(伏字になってない)の真面目が服を着て歩いているようなジャーナリスト志望の男だった。現在は某新聞社のワシントン支局から記事を打電している。

木曜4、5限(注2)という本来授業の入りようのないところに、五百籏頭(いおきべ…知らなかったら絶対に読めない)教授の外交史があった。日米戦後外交史の興味深い講義だから、我々にとっては外せなかったのだ(もちろん単位も欲しかった)。すると木曜3限が空きゴマになる。いきおい、外交史の前はカラオケの時間となった。毎週新ネタを披露することがノルマになっていた。メンバーは入れ替わり立ち替わりだったが、私とR南出身者の彼は必ずその中にいた。

私が久保田早紀やJanet Jacksonで応じると、彼は佐藤聖子(注3)を発掘するなど、誰が知ってんねん、という世界にはまっていった。彼の歌う渡辺美里『10Years』は秀逸だった。

『かたみ歌』  朱川湊人  新潮文庫 

上記が平成ひとケタの思い出ならば、本書は昭和30年代〜40年代の東京下町にある商店街の物語である。物語の中では、彼岸と此岸を行き来する幽霊が物悲しく、時に救いのない結末を迎える。7つの短編の底には日本の伝統的な思想、輪廻転生が流れている。私が生まれる前の日本には、死というものがもっと身近にあったのだ。


さて授業の時間。

数学でも、理科でも、いつでも定義に戻ろう。分からなくなったら、原理原則に戻って考えよう。
中2生が1次関数で混乱していたが、直線のグラフは傾きと切片で把握すればいいのだ。式を見てグラフが書けるのであれば、グラフを見て式を作ることはできるはずである。とにかく傾きと切片を読み取ればいいだけなのである。要は手順だけ覚えようとしているのがいけないのだ。何がしたいのか、何を求めようとしているのかを強く意識することである。一旦身につけるととてもシンプルなことだし、出来るようになると大きな武器になるので、折れずに練習することである。

月の動き、公転周期と新月から新月までの期間のずれ(前者が約27.3日で後者が29.5日)がなぜ生じるのか理解できただろうか。これも地球が太陽の周りを365日余りかけて公転していることを想像すれば、腑に落ちる話である。


注1:世界貿易センター北ビルの80階あたりにオフィスがあったらしい。
注2:教授会のある木曜夕方は授業がない。五百籏頭先生は当時神戸大から出張してこられて、たしか16:00〜19:00で半年の4単位講座を担当されていた。
注3:ほとんど知られていないが『さよならがおしえてくれる』は名曲だと思う。いきものがかりとか好きな人は、聞けばなるほどとなるかもしれない。
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