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ぼびん さんの日記
2013
9月
27
(金)
23:30
本文
トップからは保護者、生徒に向けて毎月、TKY通信が発行されています。
ご覧になって頂けているでしょうか?そんなものは知らない!というお母様は一度、お子さんのかばんを見てみてください。きっと入っているはずです。笑
この間、各学年で配っていると気づくことが。
5年生で配ったら、一目散にクイズに向かったんですね。笑
(結構人気なのですこのクイズ。)
予想通りです。
次に配ったのが、中3です。
中3は面白いことに、「短い欄を読む人」と「長い欄を読む人」で二極化していたのです。それも学力と相関して。
今回長い欄は1200字近くありました。
(なっちゃん編集長に500字くらいで〜と言われていたので、長すぎっ!と叱られました・・・orz)
一方、短い欄は写真も多く、数十字程度。
その後も、つらつらと眺めていると
学力の高い人は、長い欄に目を通していたのですが、学力の低い人は短い欄はさらっと見た後は長い欄を目もくれず・・・
でした。
ここから分かるのは、学力の高い人ほど活字への耐性が高いのだなぁと感じた次第です。
そりゃ学力差はますます広がるわな、と。
さて、前置きが長くなりすぎました。
文章書いていると、長くなってしまいます。反省・・。
TKY通信でも書いているからか、季節的なものなのか、読書についてのご質問をよくいただいています。
この間の懇談でも、
「家の子はよく読書をするのに読解力が上がらないんです。」
「読書はするんですが、国語の成績が良くならないんです。」
という、相談を受けました。
もしかしたら、このブログを読んでいる保護者の方の中にも、そういう風に思っている方がいるかもしれません。
そのようなお話を聞きますと、私は大体、「どんな本を読んでいるのですか?」と聞いてみるのです。
すると、多いのは、ライトノベルや流行りの本、SF系や歴史小説・推理小説系ですね。
今回も、聞いたところ、「東野圭吾やハリーポッターの本。」と言うふうに答えられました。
もう、ズバリ推理小説と物語ですね。笑
「読書で読解力をつけたい」と思ったときに、
よく考えて欲しいのは、
その子よりも少し上の読解力を必要とする本を読まないといけないということです
その年々に応じて、それ相応の読解力があるのです。
レベル別と言うことで思い描きやすいのは学校の教科書なので、学校の教科書を見てみましょう。
冒頭部分を比べてみます。
小学4年生
『ごんぎつね』新美南吉
これは、私(わたし)が小さいときに、村の茂平(もへい)というおじいさんからきいたお話です。
むかしは、私たちの村のちかくの、中山(なかやま)というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。
その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐(ぎつね)」という狐がいました。ごんは、一人(ひとり)ぼっちの小狐で、しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って芋をほりちらしたり、菜種(なたね)がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家(ひゃくしょうや)の裏手につるしてあるとんがらしをむしりとって、いったり、いろんなことをしました。
小学5年生
『注文の多い料理店』宮沢賢治
二人の若い紳士(しんし)が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲(てっぽう)をかついで、白熊(しろくま)のような犬を二疋(ひき)つれて、だいぶ山奥(やまおく)の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云(い)いながら、あるいておりました。
「ぜんたい、ここらの山は怪(け)しからんね。鳥も獣(けもの)も一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ。」
「鹿(しか)の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞(みまい)もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒(たお)れるだろうねえ。」
それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。
それに、あんまり山が物凄(ものすご)いので、その白熊のような犬が、二疋いっしょにめまいを起こして、しばらくうなって、それから泡(あわ)を吐(は)いて死んでしまいました。
すんごいレベルの上がり方ですよね。学年が1つ上がっただけで、この文章レベルの変わり方。
昨日まで、「ごんぎつね」を読んでいた人が、学年が一つ上がったからと、「注文の多い料理店」をいきなり読めると思いますか?
当然無理です。
4年生で読んでいた「ごんぎつね」。学年が上がり、春休み1週間後には、いきなり「注文の多い料理店」を読まされるのです。
多くの子はいきなりの難しさに戸惑い、そして脱落します。
ただ、難易度の高い文章に慣れていないというだけで・・。
結構多いんですよ。こういうケース。
だから、トップではその学年よりも少し上のレベルの文章を読むのですし、練習するのです。
小学生はもちろんですが、中学生の文章などでは、大人の鑑賞にも十分堪えうる文を使っているのです。
それでは中学生はどのレベルなのか。
中学1年生
『坊ちゃん』夏目漱石
親譲(おやゆず)りの無鉄砲(むてっぽう)で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰(こし)を抜(ぬ)かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談(じょうだん)に、いくら威張(いば)っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使(こづかい)に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼(め)をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴(やつ)があるかと云(い)ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフを貰(もら)って奇麗(きれい)な刃(は)を日に翳(かざ)して、友達(ともだち)に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲(こう)をはすに切り込(こ)んだ。幸(さいわい)ナイフが小さいのと、親指の骨が堅(かた)かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕(きずあと)は死ぬまで消えぬ。
中学2年生
『走れメロス』太宰治
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此(こ)のシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿(はなむこ)として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈(はず)だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺(ろうや)に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「王様は、人を殺します。」
「なぜ殺すのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの人を殺したのか。」
「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣(よつぎ)を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」
聞いて、メロスは激怒した。「呆(あき)れた王だ。生かして置けぬ。」
中学3年生
『高瀬舟』森鴎外
高瀬舟(たかせぶね)は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島(ゑんたう)を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞(いとまごひ)をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた、默許であつた。
當時遠島を申し渡された罪人は、勿論重い科を犯したものと認められた人ではあるが、決して盜をするために、人を殺し火を放つたと云ふやうな、獰惡(だうあく)な人物が多數を占めてゐたわけではない。高瀬舟に乘る罪人の過半は、所謂心得違のために、想はぬ科(とが)を犯した人であつた。有り觸れた例を擧げて見れば、當時相對死と云つた情死を謀つて、相手の女を殺して、自分だけ活き殘つた男と云ふやうな類である。
さう云ふ罪人を載せて、入相(いりあひ)の鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を兩岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横ぎつて下るのであつた。此舟の中で、罪人と其親類の者とは夜どほし身の上を語り合ふ。いつもいつも悔やんでも還らぬ繰言である。護送の役をする同心は、傍でそれを聞いて、罪人を出した親戚眷族(けんぞく)の悲慘な境遇を細かに知ることが出來た。所詮町奉行所の白洲(しらす)で、表向の口供を聞いたり、役所の机の上で、口書(くちがき)を讀んだりする役人の夢にも窺ふことの出來ぬ境遇である。
同心を勤める人にも、種々の性質があるから、此時只うるさいと思つて、耳を掩ひたく思ふ冷淡な同心があるかと思へば、又しみじみと人の哀を身に引き受けて、役柄ゆゑ氣色には見せぬながら、無言の中に私かに胸を痛める同心もあつた。場合によつて非常に悲慘な境遇に陷つた罪人と其親類とを、特に心弱い、涙脆い同心が宰領して行くことになると、其同心は不覺の涙を禁じ得ぬのであつた。
そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で、不快な職務として嫌はれてゐた。
いかがでしたでしょうか。
文豪のそれも名作中の名作ですから。ふと、読み込んでしまっていたのでは?笑
私も、何度も何度も定期テストなどで、この文章に触れていますが、その度についつい読んでしまいます。苦笑
さて、学年による文章レベルがどのようなものかおわかり頂けたでしょうか?
中学生ともなるとかなり難しくなりますよね。
でも、それぞれの学年の人は、各々この文章がすらすらと頭に入ってこないといけないのです。
では、高校はというと。以下の通りです。↓
高校1年生
・「こころ」夏目漱石
私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚(はば)かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執(と)っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字(かしらもじ)などはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉(かまくら)である。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書(はがき)を受け取ったので、私は多少の金を工面(くめん)して、出掛ける事にした。私は金の工面に二(に)、三日(さんち)を費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経(た)たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧(すす)まない結婚を強(し)いられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心(かんじん)の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固(もと)より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
高校2年
・「山月記」中島敦
隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、に帰臥(きが)し、人と交(まじわり)を絶って、ひたすら詩作に耽(ふけ)った。下吏となって長く膝(ひざ)を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺(のこ)そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐(お)うて苦しくなる。李徴は漸(ようや)く焦躁(しょうそう)に駆られて来た。この頃(ころ)からその容貌(ようぼう)も峭刻(しょうこく)となり、肉落ち骨秀(ひい)で、眼光のみ徒(いたず)らに炯々(けいけい)として、曾(かつ)て進士に登第(とうだい)した頃の豊頬(ほうきょう)の美少年の俤(おもかげ)は、何処(どこ)に求めようもない。数年の後、貧窮に堪(た)えず、妻子の衣食のために遂(つい)に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己(おのれ)の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥(はる)か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙(しが)にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才(しゅんさい)李徴の自尊心を如何(いか)に傷(きずつ)けたかは、想像に難(かた)くない。彼は怏々(おうおう)として楽しまず、狂悖(きょうはい)の性は愈々(いよいよ)抑え難(がた)くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水(じょすい)のほとりに宿った時、遂に発狂した。或(ある)夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇(やみ)の中へ駈出(かけだ)した。彼は二度と戻(もど)って来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰(だれ)もなかった。
高校3年生
・「舞姫」:森鴎外
石炭をば早(は)や積み果てつ。中等室の卓(つくゑ)のほとりはいと静にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒(いたづら)なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌(カルタ)仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人(ひとり)のみなれば。
五年前(いつとせまへ)の事なりしが、平生(ひごろ)の望足りて、洋行の官命を蒙(かうむ)り、このセイゴンの港まで来(こ)し頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新(あらた)ならぬはなく、筆に任せて書き記(しる)しつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日(けふ)になりておもへば、穉(をさな)き思想、身の程(ほど)知らぬ放言、さらぬも尋常(よのつね)の動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。こたびは途に上りしとき、日記(にき)ものせむとて買ひし冊子(さつし)もまだ白紙のまゝなるは、独逸(ドイツ)にて物学びせし間(ま)に、一種の「ニル、アドミラリイ」の気象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり
もう、一目瞭然です。年齢が上がるにつれ文章の難易度は上がっています。
具体的には、抽象度、語彙レベル、比喩、構造、主張、背景に必要とする知識などですね。
高校2年、3年の文は途中で飛ばした人も居たのでは?笑
まぁ、文章に関しては次の機会にするとして・・・。
小学生には小学生の、中学生には中学生の読解力があるのですから、小学校高学年の子供に童話やイソップ物語を読ませてもいけないですし、中学生に小学生レベルの物語を読ませても読解力はつきません。
だから、簡単な本をたくさん読んでいるからといって読解力が付くとは思えないですし、ましてや国語の得点力がつくはずもありません。
やはり、自分のレベルよりもちょっと難しい文章、普段のテストよりもちょっと難しいレベルの文章を読まないと読解力というのはついてきません。
できれば、そうしてちょっとずつちょっとずつ文章のレベルを上げていくのです。とっかかりは何でも構いません。
例えば、小学生であれば簡単な物語からでも構いません。
中学生でも簡単な文章からで構いません。
嫌いになっては元も子もありませんから。
徐々に徐々に文章のレベル上げていて欲しいのです。
こういう事を言っていると、「推理小説が駄目なのか!」と言われるかもしれませんが、あくまでも「読解力を上げるのには」という話であって、趣味としては全く問題がありません。
ただ、趣味としての読書と読解力は上げるための読書というのは違うということなのです。
趣味としての読書は、「好きな本」を「好きな読み方」で読めばいいのです。
(たとえば、三国志や水滸伝のような登場人物がたくさん出てくる歴史小説では、読むたびに味方する人を変えて読むのは一興です。)
読解力を上げるための読書、自分の力にするための読書というのは前述のようなものが望ましいと言うことなのです。
なんだかんだ言いましたが、読書を楽しんでください。
活字に慣れてください。
文章に慣れてください。
世界が広がりますよ。
本当に最後までご覧いただけましたかね?笑
とばし読みしていないですか??
長文をご覧頂きありがとうございました。m(_ _)m
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