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dai さんの日記
2024
12月
6
(金)
21:59
本文
猪口孝先生のご訃報に接し、心より哀悼の意を表します。
「もうそんなに年月が過ぎ去ったのか」ではなく、火災が原因で亡くなられたということに、より一層悲しみに耐えない。
猪口孝先生といえば、1988年から2012年にわたって東京大学出版会より出版された「現代政治学叢書」の編纂に尽力され、また第1巻『国家と社会』を世に送り出した方である。
わたくしの師匠でもある村松先生の『地方自治』(1988)をはじめ、学生時代こちらの叢書には大変お世話になった。
さて、その火災のニュースにおいて、テレビはとんでもないショッキングな映像とともに報じていたとのことである。人の心とかないんか。(誤用 注1)
今年の流行語大賞は「ふてほど」という見たことも聞いたこともないワードだったそうだ。
このニュースにしてもそうだし、今年は非道い報道(不適切報道)がテレビを中心に特に目に余る一年だったそうだから、テレビを見ない私の知らないところで、世間ではそんな略語が流行っていたのかしらん(すっとぼけ 注2)。
それでは、授業の時間だ。
自分の大学受験、とりわけ今回は数学について、少し振り返ってみたい。
今の高2たちが志望進路をすでに決めているのを、えらいなあと思ってみている。高2の時の担任との面談で「まだ決めてません」と言って怒られたのを覚えている。
それでも10月の終わりくらいにはじめて予備校の主催する模擬試験をマーク、記述とセットで受け、12月には高3生浪人生に交じってセンター試験プレテストを受け(英数国は半分チョイ取れて、1年頑張ったら行けるんちゃうん、という根拠のない自信を得た)、翌2月には京大オープンJr(文系は日本史世界史しかなくやむなく日本史を選択したら無事0点で死亡)と、学校外での受験勉強をちょっとずつ自主的にするようにはなった。
3年生になりゴールデンウイークに全統(河合塾)、6月に全総(代々木ゼミナール)など、隔週で外部模試を受けまくる。特に全総はマーク、記述とも好成績で、とりわけ数学は会心の出来だった(マークは数学ⅠⅡとも満点、記述は100点満点の97点くらい)。夏期講習はタダにしますから来ませんか、とのオファーが来るなど。ここで大きな勘違いをする。
基本が固まっていたわけでもないのに、自分は数学出来る子と勘違いしていたのだ。2学期に受けたマーク模試も数学は全部満点だったため、その勘違いは助長された。
今思えば、三角比もベクトルも必要十分条件も微分積分も、ぼんやりした理解でしかなかった。センター試験数学のマークシートで、あんまりわかってなくても点数が取れる受験テクニック(チート)を身につけていたにすぎないのだ。
かくして本試験の数学Ⅰでは100点満点中50点(自己採点)という香ばしい成績を叩き出す。傾斜配点(25点満点に換算)のおかげで致命傷にならなかったのが幸いであった。2次試験も数学は大したことなかった(5問中1完3半)。結果的には英語と国語で稼いで合格ラインを超えたのだった。
長々と自分語りをしてしまったが、中学生、高校生の塾生各位に伝えたかったことは、模試(実力テスト)の使い方、とりわけ復習の仕方である。
記憶の新しいうちに、できれば当日、なるべく翌日には振り返っておきたい。自己採点して点数が良ければ、そりゃあ満足だろう。しかしそこに落とし穴がある場合がある。
なんとなく雰囲気でわかっていて、それで正解を選べてしまった(書けてしまった)問題はなかっただろうか。そういう問題こそ、復習である。基礎基本から論理的に自信をもって、その正解に辿りつくことができただろうか、自問自答してみるのである。
それでは今日は、このへんで。
注1:「人の心とかないんか」:『呪術廻戦』(17巻)より。本来は「お前が言うな」というシチュエーションで放たれたセリフだが、本文のように文字通りの意味に用いられることが多い。
注2:「不適切にもほどがある」(ドラマのタイトル)の略だそうだが、そんな略し方をしている人を寡聞にして知らない。
「もうそんなに年月が過ぎ去ったのか」ではなく、火災が原因で亡くなられたということに、より一層悲しみに耐えない。
猪口孝先生といえば、1988年から2012年にわたって東京大学出版会より出版された「現代政治学叢書」の編纂に尽力され、また第1巻『国家と社会』を世に送り出した方である。
わたくしの師匠でもある村松先生の『地方自治』(1988)をはじめ、学生時代こちらの叢書には大変お世話になった。
さて、その火災のニュースにおいて、テレビはとんでもないショッキングな映像とともに報じていたとのことである。人の心とかないんか。(誤用 注1)
今年の流行語大賞は「ふてほど」という見たことも聞いたこともないワードだったそうだ。
このニュースにしてもそうだし、今年は非道い報道(不適切報道)がテレビを中心に特に目に余る一年だったそうだから、テレビを見ない私の知らないところで、世間ではそんな略語が流行っていたのかしらん(すっとぼけ 注2)。
それでは、授業の時間だ。
自分の大学受験、とりわけ今回は数学について、少し振り返ってみたい。
今の高2たちが志望進路をすでに決めているのを、えらいなあと思ってみている。高2の時の担任との面談で「まだ決めてません」と言って怒られたのを覚えている。
それでも10月の終わりくらいにはじめて予備校の主催する模擬試験をマーク、記述とセットで受け、12月には高3生浪人生に交じってセンター試験プレテストを受け(英数国は半分チョイ取れて、1年頑張ったら行けるんちゃうん、という根拠のない自信を得た)、翌2月には京大オープンJr(文系は日本史世界史しかなくやむなく日本史を選択したら無事0点で死亡)と、学校外での受験勉強をちょっとずつ自主的にするようにはなった。
3年生になりゴールデンウイークに全統(河合塾)、6月に全総(代々木ゼミナール)など、隔週で外部模試を受けまくる。特に全総はマーク、記述とも好成績で、とりわけ数学は会心の出来だった(マークは数学ⅠⅡとも満点、記述は100点満点の97点くらい)。夏期講習はタダにしますから来ませんか、とのオファーが来るなど。ここで大きな勘違いをする。
基本が固まっていたわけでもないのに、自分は数学出来る子と勘違いしていたのだ。2学期に受けたマーク模試も数学は全部満点だったため、その勘違いは助長された。
今思えば、三角比もベクトルも必要十分条件も微分積分も、ぼんやりした理解でしかなかった。センター試験数学のマークシートで、あんまりわかってなくても点数が取れる受験テクニック(チート)を身につけていたにすぎないのだ。
かくして本試験の数学Ⅰでは100点満点中50点(自己採点)という香ばしい成績を叩き出す。傾斜配点(25点満点に換算)のおかげで致命傷にならなかったのが幸いであった。2次試験も数学は大したことなかった(5問中1完3半)。結果的には英語と国語で稼いで合格ラインを超えたのだった。
長々と自分語りをしてしまったが、中学生、高校生の塾生各位に伝えたかったことは、模試(実力テスト)の使い方、とりわけ復習の仕方である。
記憶の新しいうちに、できれば当日、なるべく翌日には振り返っておきたい。自己採点して点数が良ければ、そりゃあ満足だろう。しかしそこに落とし穴がある場合がある。
なんとなく雰囲気でわかっていて、それで正解を選べてしまった(書けてしまった)問題はなかっただろうか。そういう問題こそ、復習である。基礎基本から論理的に自信をもって、その正解に辿りつくことができただろうか、自問自答してみるのである。
それでは今日は、このへんで。
注1:「人の心とかないんか」:『呪術廻戦』(17巻)より。本来は「お前が言うな」というシチュエーションで放たれたセリフだが、本文のように文字通りの意味に用いられることが多い。
注2:「不適切にもほどがある」(ドラマのタイトル)の略だそうだが、そんな略し方をしている人を寡聞にして知らない。
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