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dai さんの日記

カテゴリー [つれづれ] 
 
2024
6月 28
(金)
18:56
トップの本棚―外ラチに向けて角笛を吹け
前の日記 カテゴリー  つれづれ
本文
信じてよかった(注1)。自分の立ち回りはお世辞にも上手いと言い難かったが。



なかしゃん先生の「人生そのものが旅みたいなもん」という一節を読んで、また掃除していたら出てきた下記の本を15年ぶりくらいに読み返して、自らの波乱万丈な半生をつづりたい欲求に駆られた。
しかし、だれが興味あんねん、ということと、自由に書いてよいといえども塾のブログに書く文としていかがなものか、という気持ちもあり、やめておくことにする。


『賭ける魂』  植島啓司  講談社現代新書

「立派な賭博者とは、不運を嘆く権利がないこと、不幸を悲しむ権利が自分にはないことを心得ている人間である。」
1958年に『遊びと人間』(注2)を出版した、フランスの哲学者ロジェ・カイヨワの言である。

「私は天体の動きは計算できるが、人間の狂気は計算できない。」
南海貿易への投資で大損をしたアイザック・ニュートンの言である。

勝ち負けは別にして考え方だという。御意である。同じ賭けるなら、勝っても負けても記憶に残る方がよい。一生その話を肴に酒が飲めるような記憶であれば、なおよい。人生に不可避な偶然に対する心構えを説いているのである。



では、授業の時間だ。


中学生の定期テストでは、「普通の問題が普通に出題され、謎採点が無ければ」満点を取って然(しか)るべきだし、満点を取りうるように勉強すべきである。

とはいえ、満点を取ることは難しい。「変」な問題は時々あるし、「理不尽」な採点がなされることもある。それらが原因ならば満点が取れなくても悲観する必要はないし、逆に運よく〇になった問題(例えば記号で答える問題で迷ったところを鉛筆転がして決めたら運よく合っていた)があれば振り返っておく必要がある。

たとえば、理科の計算問題で数値はあっていたのに単位を書き忘れて全部×になったとする。それで4つまちがえて92点だった答案を見たことがある。それはそれで理不尽採点だとは言えないけども、点数上その問題が手につかなかった子と同じ評価なのは釈然としない。まあ、本人的には「実質100点なのでヨシ!単位は次から気を付けよう」というくらいの気の持ちようで良い。

「H₂O」の「O」が微妙に小さいので×、というのもあった。たいていの場合は言いがかりであろう。どう見ても小文字にしか見えない「H₂o」だったら仕方ないが、手書きの答案でその判断基準はどこにあるのだろう。これも本人的にはあんまり神経質になる必要はないし、内申点がそれで左右されることもないであろう。

以上は形式的な採点の問題だが、一番困るのは学問的に合っているのに不正解にされてしまうものである。「教えた通りでないから×」というものである。中学生の定期テストではあまり見たことがないけれども、これは本当に困る。


小学校の算数で、「0÷8=0」「18÷0=こたえなし」と書いて×された答案が、某SNSで話題になっていた。後者は本来出すべきではない問題だと思うが、この子の解答は小3児童としては満点である。
ところが、その小学校の先生が言う「正しい」答えはどうやら「0」らしい。そんなバカなことがあるか。ただの出題ミスではないのか。じゃあ、検算するけど0×0は18だとでもいうのか?

親御さんは、担任の先生に角が立たないように伝える方法はないものかと悩んでおられた。そりゃそうだ。確かにこれは困る。

なお、高校生に微分積分を教えている立場上、無邪気に18÷0を∞というのもモヤモヤする。極限を考えるのであれば+から0に近づけるのと、-から0に近づけるのとでは結果が異なるからである。


それでは今日は、このへんで。





注1:2024年宝塚記念、私の夢はブローザホーンだった。

注2:講談社学術文庫に邦訳がある。レヴィ・ストロースの文化相対主義を批判した人だ。



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