@
なかしゃん さんの日記
2020
11月
6
(金)
18:07
本文
授業後、生徒から質問を受けました。
ふしぎちゃん:「先生、『捨』と『拾』の漢字のどっちがどっちかわからなくなるんですけど・・・」
中3でその質問!?
アンタ、国語の成績がいいのに、ときどきその手の質問をするよね。
ほんと不思議ですわ。
まあ、受験生あるあるですね。
たくさん知識を入れていくと、以前はわかっていたことでも、区別をはっきり意識してなかったものは混乱してくるよね。
そこで。
紛らわしいものが二つのときは片方だけを確実に覚えるのが有効です。
覚え方のヒントを出してみた。
なかしゃん:「算数で『四捨五入』ってあるでしょ?四以下は切り捨てっていうやつ。だから『捨』が捨てる。音読みが『シャ』の方が『すてる』ね。漢字のつくりのところが『校舎』の『舎』ってなるほう」
ふしぎちゃん:「わかりました!」
わかってよかったね。
また、紛らわしいものがたくさんあるときは短縮した形で覚えるのも一つの手です。
簡単な例を挙げれば、「おさめる」の漢字。
「納税」「修学」「政治」「収益」と熟語を思い浮かべることができたら、「税を納める」「学問を修める」「国を治める」「良い成果を収める」と言い換えることで、区別のヒントになります。
勉強って工夫次第で楽しくなるので自分なりに覚え方を見つけていくとなおいいね。
生徒や保護者から「ブログを読んでいます」と聞いて、「人気者になったらどうしよう?」という杞憂を胸にブログを続けている国語担当のなかしゃんです。
こんにちは。
上層部から「ブログ書くのをやめて」と言われたら、「私の人気に妬いているからだな」と思う用意ができています。(オイ
先日、中2の国語の授業で和歌の解説をしていました。
「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ」
(柿本人麻呂)
この和歌の現代語訳は「東の方角の野に日の光が射し始めるのが見えて、後ろを振り返って(西の方角を)見てみると、月が傾いていた」であるという話をした。
そこで私は生徒に発問をぶつけてみる。
「ここの和歌から何がわかる?作者はどこにいる?家の中?外?そこは広い?狭い?」
「天気はいい?悪い?」
「時間はいつごろ?朝?夕方?」
生徒に「書かれていないけどわかること」を考えてもうらためだ。
なかしゃん:「書いてないけどわかることってあるでしょ?和歌って限られた言葉だけ使って、そこからわかることを想像して理解するんだよ」
そんな話をしていても、なんかまだピンときてない雰囲気がクラスにあった。
「こんな心情の盛り込まれていない和歌の情景が理解できたからってなんなんだ?」と思っているような雰囲気。
確かに、国語の韻文(詩や短歌や俳句のこと)の内容がわかっただけでは、テストの鑑賞に関する問題は解けない。
なかしゃん:「昔(古代や中世)はね、今みたいに写真や画像を簡単にやり取りできなかったんだよね。そこで和歌で伝達しようとしていたのは『絵画的な感動』や『体験的な共感』なの。状況を描写して読み手にそれが伝わるようになっている和歌がおしゃれだったのよ」
「感動」というと強烈な気持ちの盛り上がりのようだが、ここでいう「感動」は日本人的な「じんわりと心に染み入るような感情」に近い。
なかしゃん:「だからテストで鑑賞に関する選択肢の問題のときは、そこがあってるものを選ぶの。まあ、テストでは知識として表現技法や言葉の意味がわかっているのが前提なんだけどね」
生徒は「なるほどな」と思うところがあったみたいなのでちょっと雰囲気がよくなっていた。
個人的な私の意見としては、日本人の心情や情景を「察する文化」とは「想像することができる文化」だと思うし、それはメリットもデメリットもあるのだと思います。
「表現されていないことまで理解しろなんてめんどくさい」という効率重視の価値観からすれば、韻文の理解なんて意味不明です。
でも、実際の世の中は人の感情や人間関係においても多様性があるのです。
画一的な考え方に凝り固まれば、人生の問題解決に行き詰ってしまいます。
進化は「未知」からやってくる。
そう思って想像のメリットに目を向けて想像力を鍛えよう。
それが国語でやれること。
追伸
☆お礼☆
GH校の生徒からハロウィンのお菓子をもらいました。
先生みんなにありがとうね。
(〃´∪`〃)ゞアザース
ふしぎちゃん:「先生、『捨』と『拾』の漢字のどっちがどっちかわからなくなるんですけど・・・」
中3でその質問!?
アンタ、国語の成績がいいのに、ときどきその手の質問をするよね。
ほんと不思議ですわ。
まあ、受験生あるあるですね。
たくさん知識を入れていくと、以前はわかっていたことでも、区別をはっきり意識してなかったものは混乱してくるよね。
そこで。
紛らわしいものが二つのときは片方だけを確実に覚えるのが有効です。
覚え方のヒントを出してみた。
なかしゃん:「算数で『四捨五入』ってあるでしょ?四以下は切り捨てっていうやつ。だから『捨』が捨てる。音読みが『シャ』の方が『すてる』ね。漢字のつくりのところが『校舎』の『舎』ってなるほう」
ふしぎちゃん:「わかりました!」
わかってよかったね。
また、紛らわしいものがたくさんあるときは短縮した形で覚えるのも一つの手です。
簡単な例を挙げれば、「おさめる」の漢字。
「納税」「修学」「政治」「収益」と熟語を思い浮かべることができたら、「税を納める」「学問を修める」「国を治める」「良い成果を収める」と言い換えることで、区別のヒントになります。
勉強って工夫次第で楽しくなるので自分なりに覚え方を見つけていくとなおいいね。
生徒や保護者から「ブログを読んでいます」と聞いて、「人気者になったらどうしよう?」という杞憂を胸にブログを続けている国語担当のなかしゃんです。
こんにちは。
上層部から「ブログ書くのをやめて」と言われたら、「私の人気に妬いているからだな」と思う用意ができています。(オイ
先日、中2の国語の授業で和歌の解説をしていました。
「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ」
(柿本人麻呂)
この和歌の現代語訳は「東の方角の野に日の光が射し始めるのが見えて、後ろを振り返って(西の方角を)見てみると、月が傾いていた」であるという話をした。
そこで私は生徒に発問をぶつけてみる。
「ここの和歌から何がわかる?作者はどこにいる?家の中?外?そこは広い?狭い?」
「天気はいい?悪い?」
「時間はいつごろ?朝?夕方?」
生徒に「書かれていないけどわかること」を考えてもうらためだ。
なかしゃん:「書いてないけどわかることってあるでしょ?和歌って限られた言葉だけ使って、そこからわかることを想像して理解するんだよ」
そんな話をしていても、なんかまだピンときてない雰囲気がクラスにあった。
「こんな心情の盛り込まれていない和歌の情景が理解できたからってなんなんだ?」と思っているような雰囲気。
確かに、国語の韻文(詩や短歌や俳句のこと)の内容がわかっただけでは、テストの鑑賞に関する問題は解けない。
なかしゃん:「昔(古代や中世)はね、今みたいに写真や画像を簡単にやり取りできなかったんだよね。そこで和歌で伝達しようとしていたのは『絵画的な感動』や『体験的な共感』なの。状況を描写して読み手にそれが伝わるようになっている和歌がおしゃれだったのよ」
「感動」というと強烈な気持ちの盛り上がりのようだが、ここでいう「感動」は日本人的な「じんわりと心に染み入るような感情」に近い。
なかしゃん:「だからテストで鑑賞に関する選択肢の問題のときは、そこがあってるものを選ぶの。まあ、テストでは知識として表現技法や言葉の意味がわかっているのが前提なんだけどね」
生徒は「なるほどな」と思うところがあったみたいなのでちょっと雰囲気がよくなっていた。
個人的な私の意見としては、日本人の心情や情景を「察する文化」とは「想像することができる文化」だと思うし、それはメリットもデメリットもあるのだと思います。
「表現されていないことまで理解しろなんてめんどくさい」という効率重視の価値観からすれば、韻文の理解なんて意味不明です。
でも、実際の世の中は人の感情や人間関係においても多様性があるのです。
画一的な考え方に凝り固まれば、人生の問題解決に行き詰ってしまいます。
進化は「未知」からやってくる。
そう思って想像のメリットに目を向けて想像力を鍛えよう。
それが国語でやれること。
追伸
☆お礼☆
GH校の生徒からハロウィンのお菓子をもらいました。
先生みんなにありがとうね。
(〃´∪`〃)ゞアザース
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