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こっこー さんの日記
2016
7月
22
(金)
19:31
本文
夏期講習の小学生のテキストの中に
芥川龍之介「トロッコ」があるのです。
中学1年生の国語の教科書の隅っこにも載っているのですが、
目にするたびに読み返してみるのです。
こっこー少年は、国語が嫌いでどうしようもなく
ただただ授業を退屈に思っていました。
国語を教えている先生には、理解できないでしょうけど・・・(笑)
しかし、古典にはなんとなく興味が持てたのです。
「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山・・・」
「祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。沙羅双樹・・・」
「春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く、・・・」
だれに言われるでもなく、なんとなく「音」のリズムの良さにひかれ
諳(そら)んじて、ニヤニヤしていたのです。(笑)
文学と呼べるものを、まったくと言っていいほど読まなかったので、
教科書は読書の機会を与えてくれていました。
魯迅の「故郷」や夏目漱石の「ぼっちゃん」、中島敦の「山月記」などは
何度も教科書を開いては読み返した記憶があります。
「子どもがぜんぜん本を読まないのです。これでは国語もできないですよね?」
塾講師の保護者懇談あるあるですね。
「本を読んでも、国語の問題を解く力とは関係ないですよ!」
そんなことをいうと、ぽかーんとされます。
テレビよりも本が大好きな生徒がいます。いい加減にしたらと、お母さんがいつも
注意するそうです。でも、その生徒、国語が苦手なんです・・・
本を読むのが好き = 国語の問題がとける
これはいつも成り立つわけではないのですね。
むしろ、成り立たないと思ったほうがよい。
これが成り立つのであれば、予備校も塾も学校も
国語の時間は「読書」にすればいいのですから。
でも・・・
本を読む子は「強い」ですよ。「強い」と表現するのはなにか。
それは、「文章を読むことに抵抗がない」ということです。
どんなに長い文章でも、すらすら読み進めていきます。
これは、一朝一夕に出来ることではないですから、「その生徒の強み」となります。
日頃文章に触れない生徒は、問題を解く以前に「文章が読めない」のですから。
だから、「本を読まない生徒は、国語ができない」と言われてしまうのでしょうね。
実際には、問題を解くところまでも達していないのに・・・
さて・・・
「子どもがぜんぜん本を読まないのです。これでは国語もできないですよね?」
では、どうしましょう?本を買ってきて、読ませましょうか?
そんな必要はないのです。
自分の学年に応じて理解しやすいもの。
「専門家が内容を吟味して集約した本」を手元にもっているではありませんか。
「学校の教科書」です。
灯台下暗し。国語が苦手な人には、案外とっつきやすいと思うのです。
だって、わたしが言うから間違いないでしょ!(笑)
読書感想文に困ったら、短編の作品を読むとよい。
内容が理解しにくくても、何度も読み返せるしね。
どうかな?生徒諸君!!
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トップ進学ゼミ にわとり担当こっこー Arrivederci!
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