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DANZEN さんの日記
2012
9月
29
(土)
18:56
本文
連日当ブログにて檄(げき)が飛んでおりますねー。
学校行事が忙しい長ーい2学期とあって色んな所で綻び(ほころび)が出始める時期でもあります。
先日もある生徒が一旦は塾に向かったものの途中で引き返し「今日だけは塾を休ませて」と家に帰って来たと連絡がありました。
もし可能なら授業は受けなくていいのでお子さんと一緒に御来塾頂けませんか、と提案すると連れて来てくれました。
偉いと思いましたね。なかなか来られるもんじゃないですよ。
何故なら、塾を休みたい理由とは十中八九「叱られるから」ですもの。
何故叱られるか。勿論、そのほとんどが自分自身に原因があるからです。
今時の子は「叱られる」ことに慣れていません。だから「潔く」「叱られよう」という態度に出にくいんですね。
自分がしでかした結果について、自分で責任を取る第一歩です。
そこで反省し、悔しいと思うから進歩があると思うんですね。逃げてばかりじゃ何も変わらない。
だから件(くだん)の生徒は「偉い」のですね。勿論、連れて来てくれたお母さんも立派です。
「叱ってもらった方がいい」親のそういう判断があったんだと思います。
その生徒は何故行きたくないかの理由をお母さんには伝えていませんでした。
まずはそこを明らかにせねばなりません。
私とお母さんと机に突っ伏して泣いているその生徒。
まず「顔を上げよう」と声をかけると、泣きながら頑張って顔を上げました。
うん、大丈夫。こちらの声が届くならきちんとした話が出来る筈。
何か叱られるようなことがあるの? きちんとやることができなかったんか? と聞くと頷く(うなずく)ではありませんか。
もう私が叱ることは何もありません。充分に自分の非を認めているんですから。
過ぎたことはしょうがない。次に同じ失敗を繰り返さないように、そういう話をするだけです。
まぁ、同じ失敗を今後も繰り返すのは間違いないんですが、そこは相手が子どもなのでしょうがない。
根競べですね。
---UnderThisSeparatorIsLatterHalf---
多くの子ども達にとって勉強はしんどいもの。しかし、それは無駄にしんどいだけのものではない。
苦しい山登りの末に、眼下に広がる美しい景色を堪能(たんのう)できるのは登り切った者だけが味わえる、新しい世界を知る経験に他ならない。
艱難辛苦汝を玉にす(かんなんしんく なんじを たまにす)という言葉がありますね。
歴史が好きな生徒は「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」という言葉が分かりやすいかな。逆境にある山中鹿之助が月に向かって祈ったのですね。
ヘンタイか! なんて思う勿れ(なかれ)。
「自分はもっと出来る。なめるんじゃねぇぜ!」という気概(きがい)のある言葉です。
若いあなた方はなんでもできる。なんにでもなれる。そういう夢みたいなことを信じていいのです。
大人になるにつれてね、現実が押し寄せて来てね「若い時に・・・してなかったんだから今のあなたがあるんでしょ」ということになって行くわけです。
勿論、取り返せない、諦めるより他はない哀しい事態となるわけです。
ホントかどうかは周りの大人に聞いてごらん。少なくとも正直なDANZENは「子どもの時に不真面目だったから神様になれませんでした」と正直に申し上げます。
アホなDANZENはさておき、シェイクスピアも言ってます。
As You Like It.(気の向くままに)の中で
Sweet are the uses of adversity.(逆境が人に与える教訓ほど麗しいものはない)と。
単に気の向くままに生きてちゃダメよ。
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