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DANZEN さんの日記

 
2009
7月 3
(金)
16:51
結果に対して何をする?
本文
さていよいよ夏休み。

中学生は期末試験も終わり1学期の評価を待つばかり。
通知票ですね。

定期テストでしっかりと点数を取る。
日頃の授業態度が真剣である。
提出物等がきちんとしている。

分かっちゃ居るけど。。。

今の時代の通知票は絶対評価。


例えばですが、

定期テストが2回だから200点満点。
授業点が1回2点として週3回の授業なら10週間で60点満点。
提出物の点数が40点満点。
---UnderThisSeparatorIsLatterHalf---


こんな感じで300点中の何点を取れたかで成績を決めていきます。

250点以上なら5。
210点から249点なら4。

のようにね。


一昔前迄は相対評価でした。
250点を取っていても5が付かないことがよくあったのです。
得点の上位から10人までが5。
11人から20人までが4。

というように。


どっちが良いんでしょう?

やるべき事をきちんとしようとする意識のある生徒にとっては絶対評価がいいに決まっています。
「やった」という作業内容を評価してもらいやすいわけですから。
(得点が出るということは「やった作業の結果」も問われはするのですが)



相対評価では「やった作業の結果」に重きが置かれるわけです。

入学試験や日本の社会では相対評価軸の方を多く用います。
とどのつまりが「競争」なんです。


しかし学校に於いて過当競争はすべきでないでしょう。
では過当とは何か。

それは「負け」「失敗」を否定としてしか使わないことだと私は思っています。


スポーツでは競争OKでしょ。
でも、試合に負けた時に監督やコーチが愛情もなく「お前らはゴミだ!」と言い放つならそれは「負け」イコール「悪」となって、とてもじゃないけど共感など出来ないでしょう。

先日の北朝鮮のサッカー代表選手の話でもありましたね。負けたら「強制労働1年間」というのが。


過当でない競争がOKなのは高め合うことが出来るからだと思うわけです。

だから負けた時、失敗した時に「次」を考えれば良いんではないの?
そこの部分を教育を行おうとする者がきちんとしないこと、いや出来ないことが問題なのでしょう。


なんで結果に繋がらなかったの?

じゃあ次はどうしようか?


この繰り返しの徹底です。教育を行おうとする者がしないといけないことは。


スポーツのトレーニングに有効な手段として「自分は出来る」と思い込むことがありますね。
非常に稀な才能を世に示した人物の育った家庭のエピソードとして「あなたはできる」と言い続けたということも聞きますね。

あなたはできるのです。
でも結果が出なかった。
それは決してあなたに原因があるのではない。
だから次はやり方を考えよう。

多くの子どもにこう言ってやりたい。



でもねー、やっとらんかったらこの話は出来ないわけで。
スポーツで練習もろくすっぽしない癖に勝てる訳ねーっての。

ということも付け加えておくことにします。わははのは。

それでもウチの生徒に該当者はいないです。これ断言。
ね、諸君。




結果を基に反省と対策を忘れないようにね。
そのための記録ノートであったりもするわけだ。
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