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DANZEN さんの日記

 
2006
8月 1
(火)
02:10
ブログ開始宣言
本文
世間もすなるブログといふものを、男前もしてみむとてするなり。

やうはさふいふことなのです。


きっかけはコンテンツを充実させろというお偉いさん方のアドバイスなのですが、充実もなにも、

何が必要なの???

という状態なわけなのでした。

アドバイスを求めたらば

「誰にでも作れるようなホームページはダメ!イメージを入れないと!業者さんを紹介してあげましょう!!!」と仰る(おっしゃる)。

即答致しましたとも。
「大手塾様のように広告宣伝費は確保出来ませぬので、自分で頑張らせて頂きます。。。_(._.)_ペコリ」

さぞ嫌な顔をされるだろうと思いきや、正直に申し上げたのが功を奏したのでしょう
「ならばブログを導入しましょう!」と提案して頂いたのです。

「何でも良いんですよ。3日にひとつでも書けば良いんですよ。仕事のこととか、思ったこととか、大層に考えず、かるーいノリでやりましょう!」と。

確かに体重計が示すように「何事も軽く」は信条であります。
嘘です。信条ではありません。行動の結果なのでした。のっけからスイマセン。

2行目に戻りますが、つまりはそういうことなのですよ。

紀貫之ばりに宣言してみたものの、彼のように大層なことを書いてやろう!てな気持ちは毛頭ありません。(中学生は以下を読もう!)







土佐日記
紀貫之が土佐の国から京まで帰京する最中に起きた出来事や思いなどを書いた日記
930年(延長8年)から934年(承平4年)土佐の国の国司だった貫之が、任期を終えて土佐から京へ戻るまでの55日間の紀行を、女の作者を装って(よそおって)平仮名で綴った(つづった)。
この時代男性の日記は漢文で書くのが当たり前であり、そのため、紀貫之に従った女性と言う設定で書かれた。


重要ポイント

『ひらがなで書かれた最初の日記文学』

女の作者を装ったのは、彼が日本初のオカマだった。。。
そんなワケないですね。
それまでにもオカマはたくさんいただろうしねぇ。。。 :ku_oi:

そういう問題ではなく
『自分の考えや気持ちを表現して、政治の批判なんかもしたかった』ということです。
当時は男は漢字で仕事のことを、女はひらがなで日常のことを、というスタイルだったらしいですね。
それから、男が政治批判をすれば大問題となるような時代。女なら許される。(誰も真剣に相手にしないってのが正しいのかな?)

自分の身を隠しながら、書いてみたんですね。
批判ばかりを書いているわけではないですよ。任地(土佐の国)で亡くなった愛娘を思う心情が中心です。


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